映画が映さない沖縄戦

「ハクソー・リッジ」、住民も犠牲 体験者は惨状を目撃

沖縄戦の激戦地となった沖縄県浦添市の前田高地が舞台の映画「ハクソー・リッジ」が公開された6月24日以降、市観光協会が実施する週末のツアーは参加希望者が絶えず、関心の高さがうかがえる。一方で映画の中心は主人公の米軍の衛生兵、デズモンド・ドスさんや戦闘シーンで、住民は登場しない。前田高地近くの壕に避難し、生き残った浦添市の玻名城(はなしろ)初江さん(85)は「武器を持たない大勢が亡くっただけでなく、生き残った人の夢も希望も奪ったのが沖縄戦だったということを知ってほしい」と話す。


 玻名城さんは米軍の艦砲射撃や空襲が浦添村(当時)でも激しくなった1945年3月下旬に祖母=当時68歳、母=当時41歳、妹=当時7歳、弟=当時3歳=と、親類3人の計8人で前田高地のある浦添城跡内の「クチグヮーガマ」に避難した。南部に逃げることも考えたが、年老いた祖母や幼い弟にとって長距離を歩き続けるのは厳しいと判断し、自宅近くにあったクチグヮーガマに逃げ込んだという。


 映画「ハクソー・リッジ」では日米双方の激しい銃撃戦が描かれているが、玻名城さんによると、日本兵がクチグヮーガマの近くの大木の間から出てきて、大砲を撃って応戦していた。水をくみにガマの外に出たこともあったが「機銃掃射で狙われた。死んだふりをして地面に伏せ、米軍機が過ぎ去るのを待った」。



 米軍が砲弾をガマ近くに撃ち込むと「ドーン」という爆音とともに地響きがした。爆風がガマの中まで吹き込み、見上げると、壕の天井に人間の肉片がこびりついていた。「近くにいた日本兵のものなのか、住民のものか分からないが『地獄とはこんなものなのか』と思った」


 飲まず食わずの避難生活が続き、「どうせ死ぬならたくさん水を飲みたい」と45年5月5日にガマを脱出して自宅の井戸を目指した。「黒くなって、膨れ上がった死体がそこら中にあった」。映画で描かれた前田高地の戦いで戦死した日本兵などの死体だったとみられる。


 玻名城さんは「ハクソー・リッジ」について次女から聞いた。「見る気はしない。思い出したくない」と言葉少なに話す。「二度と戦争は起こしてはならない」と言葉に力を込めた。

記事・琉球新報社より引用

ミサイル発射のニュースで、世界中が心配している中、二度と戦争をしてはいけないと切に思います。

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